1月 29, 2010 0

[interview] CINEMA dub MONKS と「永遠と一日」〜物語をめぐる旅〜 [3]

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【記憶に積み重なる音、物語】

彼らが音楽を組み立てていくときに大切にしているのは、コード進行や繰り返しの回数といった、曲を曲たらしめる構成ではなく、どのような情景をイメージしているか、描きたいか、また伝えていきたいかということ。だから、演奏前の打ち合わせも、自分の持っているイメージについての話し合いがなされる。

大穂 –「よく言うのは、例えばある映画があったとして、主人公がバスに乗っているシーンについてのこと。景色が移り変わるなかで流れる音楽を演奏する場合、その情景は夜なのか朝なのか、日本なのかホコリっぽい南米やモロッコなのか、町なのか田舎なのか、冬なのか春なのか。それを思い描くだけでだいぶ制約ができてくるから、伝えやすくなる。そして、実際に演奏してみて違うなと思ったら、また話し合って修正していく。でも、今回、参加してもらったミュージシャンのほとんどは、普段、こうしたやり方で演奏しなれてない人たちが多かった。情景を説明しただけで演奏に入るとみんな不安になるみたいで、演奏中、見ると頼りなさそうな顔をしている(笑)」

ガンジー –「それはそうだよね、人のバンドでいきなりそれをやれと言われてもとまどうだろう。でもね、実際に音を出したら、何かにはなる。そう思ってやると、そうなるものだから。寒いと思って演奏したら寒くなるし、暑いと思ったら暑くなる」

聴く側としては、そうした演奏者側の思いを彼らがイメージしたままの形で受け止める必要はないし、彼らだって求めてはいない。しかしながら、普通の音楽を聴く以上に、彼らの奏でる音楽を受け止めると、何かしらの感情や映像が強烈に浮かび上がってくるのもまた事実でもある。

ガンジー –「それって、ほかの部分をごそっと排除しているからだと思うんだよね。すごいシンプルにしちゃってるから。重要なことさえ伝わればいいと思っていて、そこじゃない部分は取っちゃう」

大穂 –「そう、やっぱり、何かしらは届いてほしい。そのバスは歌舞伎町を走っているんじゃんなくて、明らかにホコリっぽいところを走っているとか。 バスというのもわからなくていい。ヒリヒリしているなぁ、切迫感があるなぁというのだけでもいい。そういうのの積み重ねで物語は始まっていくから。 アンゲロプロスの映画がまさしくそれで、長い上映時間の間、少々目を離しても問題ない。だけど、何かが積み重なって、エンディングのときには、すごい作用になっている。土地の匂いが体のなかに充満しているというか。あんなにスカスカなのに、見終わったときにはギリシャの歴史全体を理解した気になっていたり」

記憶のなかに音を積み重ねていくという作業を意識して行ってきたがために、これまでのCINEMA dub MONKSのアルバムやライブは、始まりがあって終わりがある、印象深いひとつの流れとなっていた。ところが、今作『永遠と一日』では、その方法論を彼らは意識して手放した。これまで途切れることのなかった物語は一曲を単位として作られ、その物語を合わせることで全体を構成した。出演者が入れ替わり立ち替わり登場して、ある物語は突然途切れ、突然始まる。予定調和ではない音の連なりや響き合いは、記憶に積み重ならないからこそ、ハッとするような驚きが生まれ、沈黙のなかにも余韻を残す。いろいろな人の思いや目にした情景は、交わるのか交わらないのか、それすらも定かでないまま、浮かび上がっては消え、物語は続いていく。

>> CINEMA dub MONKS と「永遠と一日」〜物語をめぐる旅〜 [4] へ続く
インタビュー/文 : 岡田 KAYA 真由美


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