Posts Tagged ‘永遠と一日’

3月 8, 2010 0

2010/04/18【二階堂和美 presents 堂脈 vol.5 CINEMA dub MONKS】

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CINEMA dub MONKSの3rdアルバム、「町ものがたり」三部作完結編という「永遠と一日」との出逢いに感動したのだ。 このアルバムが手元に届いた昨秋。私は、書きかけては止め、書いては丸め、をひと月毎日繰り返していた手紙があった。思いあぐねながら、「こんなとき聴きたい音楽ってどんなのだろう?」と棚を眺めた。いくつかのCDに目星をつけてかけてみたが、どれも違った。今の気分に添うものは私の部屋にはなかった。そんなある日。「大穂くんの新譜か、どれどれ楽しみだわん」。 音が鳴り出した瞬間、私の中でダマになっていた思いが一気に流れだした。全身の細胞に水が充ちる。潤い、そして放たれていく。これだ、これを求めていた。そんな感覚を得たのは何年ぶりだろうか。嬉しい。音楽がこちらに寄り添ってくれた。気分だけを連れてきてくれる音。私は部屋に居ながら旅に出た。あふれる気持ちをそのまま、手に移し、ペン先に写し、行方の知れぬ相手への手紙を完結させた。届いても届かなくとも、ダマになっていた自分自身の糸を、巻き替えることができた「永遠と一日」。 特定の気分を与えて連れて行ってくれる音楽も好きですが、今回のCINEMA dub MONKSの音と人と映像の織りなすライブは、きっと皆さんそれぞれの物語へと、未知の旅をさせてくれると思います。あなた次第で。(ちょっとくさいことを言いました。)  text by nika 稀代のシンガー、二階堂和美との共演! ニカさん自ら主催のイベント「堂脈」にて。舞台は広島の映画館・横川シネマ。お近くの方はぜひ。 Check

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2月 15, 2010 1

[interview] CINEMA dub MONKS と「永遠と一日」〜物語をめぐる旅〜 [5]

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<< CINEMA dub MONKS と「永遠と一日」〜物語をめぐる旅〜 [4] からの続き 【それぞれの人生と物語の続き】 「自分のなかにある言葉とか文章で捕まえきれないことを音なら捕まえられる」と大穂は言う。「例えば、このアルバムを5年後10年後に聞くと、ガンジーさんが東京で借りていた家に通ったことを思い出す。音によって残る景色とか、情景、匂いと一緒に」 CINEMA dub MONKSの1st アルバム『TRES』にも書いてあったが、『永遠と一日』も、二回目以降に聴くときは、曲順がランダムに入れ替わるよう必ずシャッフルにして聴いてほしいという。そこには作り手の意志から離れて自由になった物語がある。そうしてランダムな順番で聴くときの音の連なりが、 その時の気持ちに驚くほどストンと落ちていくことが多い。 音を刺激して閉じこめた記憶がある。その音に刺激され、呼び起こされる記憶もある。 『永遠と一日』のはざまにたゆたういくつかの物語は、私たちの物語にもなる。それらの音は、余計なものがそぎ落とされた分、感情や思い出へと直接響くのでヒリヒリと痛むこともあれば、できなかったことに対して背中を押してくれること、忘れていた大切な記憶がよみがえることもある。そのことに気付いたとき、物語をめぐる旅は、もうすでに始まっている。 インタビュー/文 : 岡田 KAYA 真由美 Check

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2月 9, 2010 0

[interview] CINEMA dub MONKS と「永遠と一日」〜物語をめぐる旅〜 [4]

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<< CINEMA dub MONKS と「永遠と一日」〜物語をめぐる旅〜 [3] からの続き 【旅、あるいは異なる都市を移動すること】 曽我大穂とガンジー西垣、性格の全く違う二人に共通していることは、小さい頃、さまざまな町に移り住んだということ。そんなホームタウンのない二人が沖縄で出会って奇跡のように生まれた CINEMA dub MONKS の音には、どこか特定の国や場所というよりも、旅や移動を感じさせる匂いが立ち昇る。それは、バルセロナやリスボン、ベルリンなど、ヨーロッパの都市で暮らして、ライブをしてきた彼らの実績だけが理由ではなさそうだ。 大穂 –「 “旅” のことに関して。これは、唯一押しつけがましくある自分の物語の核なんですけど、気持ちがいっぱいいっぱいになったり、違うなと思ったら、町や国、家族を捨ててもいいんだよと自分は思ってるんです。みんな町にとどまって何とかしようと思っているから、たいへんになっちゃう。小さい頃、引っ越しばかりしていて感じたのは、町が変わればルールが変わって、人間の距離感も変わる。すると、自分はなにも変わってないのに、いっぱいっぱい感が取れていることもある。一度きりの人生だから、 ふとみんな失踪しちゃってもいいんじゃないかなぁって思いつつ、失踪できないとしたら、せめて自分たちの音楽を聴いて、失踪してどっか埃っぽい町に移り住んだ疑似体験を味わってほしいという願望があるんです」 ガンジー –「それは、すごくロードムービーっぽくもある」 大穂 –「自分を変えようという努力もありだけど、町をでちゃうのも手かもしれない。自分はそのままなのに、環境が変わればポンと自分も変わっちゃう。自分たちの音楽を聴いたとき、そういうことを考えている人のステップになるような音楽にはしたいといつも思っています」 そうした変化は、なにも旅や移動だけではなく、日常からのちょっとした逸脱を手助けするものでもある。『永遠と一日』の構想をいちばん最初に大穂が抱いたのは、“ポンと背中を押してあげるようなアルバム” だったという。 大穂 –「普段は書かない自分の両親や友達に手紙を書いていて、ふと筆が止まったとき、かけられるような音楽にしたかった。伝えたい言葉を探しているとき、ガンジーさんのベースの音がしみこんできて、手紙のヒントになるような。もしくは、夕食を作っていて、あともう一品何にしようというときに隣の部屋から聞こえてくると、料理のヒントになるものとかね。もう、だいぶ両親と会ってないから、明日仕事は休んでふと会いに行ってみようかというような気持ちを、ちょっと後押しして上げられるようなアルバムであり、せめて聴いている間だけは、そうしたことをした気分になれるのが理想です」 >> CINEMA dub MONKS と「永遠と一日」〜物語をめぐる旅〜 [5] へ続く インタビュー/文 : 岡田 KAYA 真由美 Check

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2月 1, 2010 0

[vimeo] CINEMA dub MONKS / 永遠と一日の周辺

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CINEMA dub MONKS “Out Stories of Eternity and a Day” from Monogatari on Vimeo. 特別製作のショートフィルム。 アルバム「永遠と一日」の、とあるひとつの物語。 Check

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1月 29, 2010 0

[interview] CINEMA dub MONKS と「永遠と一日」〜物語をめぐる旅〜 [3]

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<< CINEMA dub MONKS と「永遠と一日」〜物語をめぐる旅〜 [2] からの続き 【記憶に積み重なる音、物語】 彼らが音楽を組み立てていくときに大切にしているのは、コード進行や繰り返しの回数といった、曲を曲たらしめる構成ではなく、どのような情景をイメージしているか、描きたいか、また伝えていきたいかということ。だから、演奏前の打ち合わせも、自分の持っているイメージについての話し合いがなされる。 大穂 –「よく言うのは、例えばある映画があったとして、主人公がバスに乗っているシーンについてのこと。景色が移り変わるなかで流れる音楽を演奏する場合、その情景は夜なのか朝なのか、日本なのかホコリっぽい南米やモロッコなのか、町なのか田舎なのか、冬なのか春なのか。それを思い描くだけでだいぶ制約ができてくるから、伝えやすくなる。そして、実際に演奏してみて違うなと思ったら、また話し合って修正していく。でも、今回、参加してもらったミュージシャンのほとんどは、普段、こうしたやり方で演奏しなれてない人たちが多かった。情景を説明しただけで演奏に入るとみんな不安になるみたいで、演奏中、見ると頼りなさそうな顔をしている(笑)」 ガンジー –「それはそうだよね、人のバンドでいきなりそれをやれと言われてもとまどうだろう。でもね、実際に音を出したら、何かにはなる。そう思ってやると、そうなるものだから。寒いと思って演奏したら寒くなるし、暑いと思ったら暑くなる」 聴く側としては、そうした演奏者側の思いを彼らがイメージしたままの形で受け止める必要はないし、彼らだって求めてはいない。しかしながら、普通の音楽を聴く以上に、彼らの奏でる音楽を受け止めると、何かしらの感情や映像が強烈に浮かび上がってくるのもまた事実でもある。 ガンジー –「それって、ほかの部分をごそっと排除しているからだと思うんだよね。すごいシンプルにしちゃってるから。重要なことさえ伝わればいいと思っていて、そこじゃない部分は取っちゃう」 大穂 –「そう、やっぱり、何かしらは届いてほしい。そのバスは歌舞伎町を走っているんじゃんなくて、明らかにホコリっぽいところを走っているとか。 バスというのもわからなくていい。ヒリヒリしているなぁ、切迫感があるなぁというのだけでもいい。そういうのの積み重ねで物語は始まっていくから。 アンゲロプロスの映画がまさしくそれで、長い上映時間の間、少々目を離しても問題ない。だけど、何かが積み重なって、エンディングのときには、すごい作用になっている。土地の匂いが体のなかに充満しているというか。あんなにスカスカなのに、見終わったときにはギリシャの歴史全体を理解した気になっていたり」 記憶のなかに音を積み重ねていくという作業を意識して行ってきたがために、これまでのCINEMA dub MONKSのアルバムやライブは、始まりがあって終わりがある、印象深いひとつの流れとなっていた。ところが、今作『永遠と一日』では、その方法論を彼らは意識して手放した。これまで途切れることのなかった物語は一曲を単位として作られ、その物語を合わせることで全体を構成した。出演者が入れ替わり立ち替わり登場して、ある物語は突然途切れ、突然始まる。予定調和ではない音の連なりや響き合いは、記憶に積み重ならないからこそ、ハッとするような驚きが生まれ、沈黙のなかにも余韻を残す。いろいろな人の思いや目にした情景は、交わるのか交わらないのか、それすらも定かでないまま、浮かび上がっては消え、物語は続いていく。 >> CINEMA dub MONKS と「永遠と一日」〜物語をめぐる旅〜 [4] へ続く インタビュー/文 : 岡田 KAYA 真由美 Check

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1月 28, 2010 0

[interview] CINEMA dub MONKS と「永遠と一日」〜物語をめぐる旅〜 [2]

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<< CINEMA dub MONKS と「永遠と一日」〜物語をめぐる旅〜 [1] からの続き 【日常を揺さぶる言葉】 今回のアルバムを作るうえで重要なキーワードとなったのが、ギリシャ人監督、テオ・アンゲロプロスの映画『永遠と一日』。ブルーノ・ガンツ演ずる主人公はギリシャの国民的作家で、不治の病を抱えている。明日になったら病院へ行こうと決心した彼は、アパートをひきはらい、飼っていた犬を娘夫婦に 預けに行き、ひょんなことで巡り会った移民の子どもと親交を深めるなかでも、家族や亡くなった妻との幸せな時間をフラッシュバックのように何度も回想する、そんな “一日” が描かれている。 大穂 –「アルバムに参加してもらうミュージシャンたちにイメージを伝えるにあたって、この映画を見てよと DVD を貸したりもしました。“永遠” と “一日” という言葉自体にも、どこか今の日常を揺さぶる強さがある。この言葉に惹かれたんですよね。BOSE さんも歌詞のなかで言っているけど、永遠なのか一日なのか、時間を超えている部分だってある」 アンゲロプロスの映画は長い。『永遠と一日』は3時間近く、『旅芸人の記録』は4時間近くある。そして、台詞を言い終わってもフィルムを回し続けているので、役者は所在なげに立ち続け、そこに独特の間合いが発生する。その間合いの持ちようが、「自分がこだわっていることと同じ」だと、大穂は言う。 大穂 –「あの間って、音楽でいうと休符ですよね。映画のなかに意味のあることだけを持ち込むのは、演奏をやめない演奏者と同じ。でも、余白、登場人 物もしゃべらない、後ろで何も起こらないという時間が好きなんです。音楽にもあるんですよね。曲と曲が終わって入る MC もそうだし、静かな余韻も、ブレイクもある。映画で、そのブレイクを作るのは本当に何の意味もないことだけど、アンゲロプロスはやっている。彼の映画って、何作も見るとはまっていくんですよ。あの人は同じことを重ねていく。国境とギリシャの歴史をいうことが好きで、一作ごとにテーマを変えたりしない。そういうところは自 分にもあって、同じことにこだわり続けて形を変えては作っていっている。多分、彼はいつだって、ギリシャ全部をぶちこもうとしているんですよね。その気持ちもわかるんです。これまでで一番嬉しかった感想が、ベルリンでライブをやったときのこと。子どもを連れたおばさんが「今日のライブは私の人生そのものだったわ」って、わざわざ言いに来てくれたんです。全部が入っている音楽。この感想を聞いてから、そういうことをできたらいいなって思い始めたんです」 >> CINEMA dub MONKS と「永遠と一日」〜物語をめぐる旅〜 [3] へ続く インタビュー/文 : 岡田 KAYA 真由美 Check

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1月 27, 2010 0

[interview] CINEMA dub MONKS と「永遠と一日」〜物語をめぐる旅〜 [1]

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【物語の始まり】 CINEMA dub MONKS のこれまでのアルバムが一本の長編映画だったとしたら、最新作『永遠と一日』は複数の人物にまつわる情景が描かれたオムニバス映画といえるだろう。 登場するのは、世界中のさまざまな場所で暮らす人々。中年のおばちゃんだったり、若い娘だったり、結婚してなんとなく年をとった夫婦のどちらかだったりと、国籍も年齢も違うけれど、日々の生活を淡々と送っていることはみな同じ。そんな “どこでもいる人々” が人生の合間に見せる “ふとした瞬間” が、 音として紡ぎだされ、 寄り添って旅をするかのように彼らの物語が描かれている。もしかしたら、旅へ出向いたまま、日常へ戻らずじまいの人もいるかもしれない。そこに静寂は、突然訪れる。すると、私たちは、音と音の合間の無の時間によっても、多くのことが語られているのを知るだろう。 曽我大穂 (ピアニカ、フルートなど)、ガンジー西垣 (ウッドベース) の2人が、親密な会話を交わすように、完璧に近い意思疎通を図りながら、演奏世界を表現してきたCINEMA dub MONKS。『永遠と一日』で大きく変わったのは、普段から一緒にライブやセッションなどを重ねてきた8人のゲストが参加していることだ。 曽我大穂 –「今までのダブモンクスって、僕とガンジーさんでコントロールしてきていた。極端にいえば、ふたりともが読んだ小説、例えば、ガルシア・ マルケスの物語にでてくるような、村に大洪水が来るような話しから近づけていったり」 ガンジー西垣 –「二人とも見ている絵は違うけど、だいたい近い。ビターっと一緒ではなかったけれど」 大穂 –「でも、今回はもっと不確定な要素のなかでやる楽しみを追求したかったのかもしれない。自分がまったく予想していないことが起こる状況のなかで。そうしたなかから生まれたものは、これまでのように思い通りの仕上がりではないかもしれないけど、表現の幅は確実に広がって、おもしろいことになっている」 録音のときも、最初に全体像を決め込まなかった。バルセロナ、リスボン、沖縄、奈良、東京など、彼らが暮らし、ライブをした町に滞在したときに作られた音やフレーズの断片からイメージを膨らませ、一緒にやりたい人に声をかけた。 大穂 –「方向性は、やっているうちに見えてくると思っていたんです。まずは、単純に断片はこのメンバーとやりたいという思いから始めていた。集まって音を出して、こんな雰囲気になるんだったら、こういうアレンジにしようとかとやっていく。そうやって出てきた音が、断片のシーンにうまく重なると、 僕の妄想がどんどん進み始めて、“あ、きた!” という瞬間がやってくる。すると、そのあとの構成がどんどんと広がっていくんです」 >> CINEMA dub MONKS と「永遠と一日」〜物語をめぐる旅〜 [2] へ続く インタビュー/文 : 岡田 KAYA 真由美 Check

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